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愛されない妻の覚醒:天才華道家は二度と泣かない の小説カバー

愛されない妻の覚醒:天才華道家は二度と泣かない

夫の三十歳の誕生日、手作りのケーキを手にホテルを訪れた私は、最愛の夫が元恋人を抱きしめる光景を目の当たりにする。動揺する私を夫は冷酷に突き放し、実の息子までもが「結衣おばさんがいい」と私を拒絶した。入院先でも夫の横暴は続き、無理やり点滴を引き抜かれ離婚を突きつけられる。さらに不幸は重なり、何者かに誘拐され瀕死の重傷を負った私がビデオ通話で助けを求めるも、息子は「ママなんて大嫌い」と叫んで通信を切った。命からがら逃げ延びた先で再会した夫は、血まみれの私を「薄汚い狂女」と蔑み、雨の裏路地へゴミのように捨て去った。五年間、家族のために全てを捧げてきた献身は、無残な裏切りによって踏みにじられたのだ。冷たい雨に打たれる中、私の心は完全に死に絶えた。もはや誰の妻でも母でもない。私は顔にこびりついた血を拭い去り、誇り高き華道家家元「井上桜子」として、かつての自分を捨てて静かに再起を誓う。二度と誰にも屈しない、孤独で気高き戦いが今始まる。
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章 2

「もしもし、悠真?」

非常階段の冷たい壁に背を預け、桜子は震える声で電話に出た。

『ママ?パパの誕生日パーティー、まだ始まらないの?僕、お腹すいた』

息子の不機嫌な声が、スマートフォンのスピーカーから響く。桜子の胸が、罪悪感で締め付けられた。

「ごめんね、悠真。すぐに帰るから。先に夕飯を食べていてくれる?」

『……ちぇ。わかったよ』

一方的に切られた通話音を聞きながら、桜子はゆっくりと立ち上がった。膝の痛みが、現実を突きつけてくる。

タクシーを拾い、世田谷区にある鷹司家の本邸へと向かった。車窓から流れる東京の夜景が、やけに冷たく感じられた。

重厚な門をくぐり、静まり返った本邸の長い廊下を抜ける。使用人たちは皆、桜子に気づかないふりをして、足早に通り過ぎていく。この家で、彼女は常に孤独だった。

夫婦の寝室である、重厚なマホガニーの扉を力なく押し開けた。

部屋の空気は、まるで氷室のように冷たかった。桜子はコートを脱ぎながら、ソファの上に無造作に投げ出された暁の特注スーツを見つけた。ホテルで着ていた、あのスーツだ。

無意識に、妻としての習慣でスーツを片付けようと手を伸ばす。上質な生地に指が触れた、その瞬間。

スーツを持ち上げた途端、濃厚なカサブランカの香水の匂いが、桜子の鼻腔を突き刺した。

動きが、完全に停止した。

それは、先ほどホテルで結衣から漂っていたのと、全く同じ匂いだった。暁が彼女を抱きしめた時、彼のスーツに染み付いたのだ。脳裏に、あの密会の映像が鮮明にフラッシュバックする。

極度の精神的ストレスが、物理的な痛みに変わった。

桜子の胃が、突然、燃えるように痙攣した。

「うっ……!」

スーツを取り落とし、激しい痛みに耐えかねてベッドの縁に崩れ落ちる。冷や汗が、額を伝った。

サイドテーブルの引き出しを漁り、常備している胃薬の瓶を震える手で掴んだ。しかし、指先から力が抜け、ガラス瓶が床に落ちて粉々に砕け散った。白い錠剤が、絨毯の上に無残に散らばる。

「あ……ぁ……」

桜子は床に這いつくばり、薬を拾おうとする。だが、痛みの第二波が押し寄せ、うずくまることしかできない。

その時、背後のドアが静かに開いた。

パジャマ姿の息子、悠真が不機嫌そうな顔で立っていた。

「悠真……助けて……」

桜子は助けを求めて手を伸ばし、かすれた声で息子の名前を呼んだ。

悠真は、床に落ちた暁のスーツと、這いつくばる母親を見て、怯えたように一歩後退りした。そして、顔を歪めて泣きそうな声で叫んだ。

「ママ、またどうしたの!怖いじゃん!」

混乱と恐怖からくる拒絶の言葉が、桜子の胸に突き刺さる。胃の痛みよりも激しい痛みが、心臓を貫いた。

「結衣おばさんは、いつもニコニコしてるのに!」

悠真はそう泣き叫び、桜子に決定的な打撃を与えた。

悠真はパニックに陥ったようにドアをバタンと乱暴に閉めて、自分の部屋へ逃げ帰ってしまった。

閉ざされたドアを見つめ、桜子は悟った。夫だけでなく、たった一人の息子まで、自分は奪われてしまったのだ。

絶望の淵に、突き落深刻された。

胃の痙攣が悪化し、呼吸が苦しくなる。意識が、ゆっくりと遠のいていく。

床に散らばった薬の上に倒れ込み、彼女の頬を冷たい涙が伝い落ちた。

深夜の巡回をしていた家政婦頭の木村が、部屋の異音に気づき、恐る恐るドアを開けた。

「奥様っ!」

木村の悲鳴が、静まり返った屋敷中に響き渡った。

「救急車を!早く!」

木村が慌てて電話をかける声が、桜子の薄れゆく意識の中で遠くに聞こえる。執事が暁に連絡を取ろうとしているが、「社長は、お電話に出られません」と報告する声も。

彼は今頃、結衣と共にいるのだろう。自分の生死など、気にも留めずに。

桜子の唇に、自嘲的な笑みが浮かんだ。

救急隊員が到着し、ストレッチャーに乗せられる際の揺れで、彼女は完全に意識を失った。

救急車のサイレンが、夜の高級住宅街に虚しく鳴り響き、鷹司家の冷たさを際立たせていた。