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さよなら契約、涙のオフィス の小説カバー

さよなら契約、涙のオフィス

法務部から催促された書類を手に、彼女は上司が待つオフィスの前で立ち尽くしていた。社内では公認の仲であり、普段ならノックもせずに足を踏み入れる場所だ。しかし、この日に限っては胸騒ぎを覚え、戸惑いながらも扉を叩いた。中から漏れ聞こえてきたのは、衣擦れの音と女性の艶やかな笑い声。不安に駆られながら扉を開けた瞬間、目の前の光景に心は凍りつく。デスクに腰掛ける上司の胸元には、一人の女性が親密な様子で寄り添っていた。窓から降り注ぐ陽光が、彼のネクタイを整える彼女の細い指先を美しく照らし出し、二人の間の甘い空気を残酷なまでに際立たせている。視界が歪み、喉の奥に言葉が詰まる。絞り出すようにして書類の件を告げようとしたその時、二人の視線が同時にこちらへと向けられた。公私ともに築き上げてきた関係が、音を立てて崩れていく。このオフィスに漂う親密な空気は、もはや彼女が知るかつてのものではなかった。衝撃のあまり声も出ない彼女と、平然と振り返る上司。静寂に包まれた部屋で、三人の運命が静かに交錯し始める。
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章 1

一通のメッセージ。下には写真が5枚添付されていた。

絡み合った下着、指を固く絡め合う両手、握りしめて皺になったシーツ、浴室のぼやけた映り込み……

これは路遥が挑発を受け取るのは初めてではない。

ほかの女の手首を肉に食い込むほど掴む大きな手――ひと目で、幼なじみで長年の恋人である宋津年の手だとわかった。

写真の日付は、ちょうど二人の交際3周年の記念日だった。

その日、路遥は病院からの救急の電話を受け、宋津年が交通事故に遭ったと知るや、取り乱して赤信号を3つ突っ切り病院へ駆けつけた。

だが彼女が見たのは、全身血まみれの秘書・蘇晚意を抱きかかえ、救急外来に飛び込む宋津年の姿だった。

何の説明もなく、9日間連絡が途絶えたあと、彼はようやく姿を見せた。隣には一人の女が増えていた。

聞くところによれば、彼女は宋津年を救うために重傷を負い、記憶を失ったという。そのため彼に強く依存するようになったらしい。

宋津年は負い目から、その恩に報いるべく徹底的に優しくし、片時も離れず寄り添っている。

路遥は鼻で笑って画面を閉じ、催促し続けていた母にようやく返信した。【縁組に同意する】

ただし去る前に、路遥は彼に三つの餞別を用意するつもりだ。

......

路遥は宋津年の執務室の前に立ち、法務部が署名を急かす契約書を手にしていた。

いつもの癖で、そのまま扉を押し開けて入ろうとした。

社内の誰もが彼女と宋津年の関係を知っており、仰々しい作法など要らなかったのだ。

だが今日は、指先が扉の上で一瞬宙に浮き、結局はそっとノックした。

中から衣擦れの気配と、女の甘い笑い声が混ざって聞こえた。

胸がきゅっと縮む。それでも、押し開ける手はもう止まらなかった。

目に飛び込んだ光景は、頭から氷水を浴びせられたようだった。

机に背を預ける宋津年、その胸元に身を預ける蘇晚意。細い指が彼のネクタイを整えている。

床から天井までの窓から陽が差し、二人の上に落ちて、親密なシルエットを縁取っていた。

「津年、書類――」路遥の声は喉で途切れた。

二人が同時に顔を上げる。

蘇晚意の頬にはまだ赤みが残り、宋津年の目には一瞬の狼狽が走ったが、すぐにいつもの余裕ある表情へ戻った。

彼は自然に蘇晚意との距離を取り、足早に路遥へ向かう。

「遥遥?」 彼は書類を受け取りながら、指先をそのまま彼女の指の間へ滑り込ませ、十指を絡めた。「どうして自分で持って来たの?俺に会いたくなった?」

彼の掌は温かく乾いていて、路遥にとって最も馴染んだ感触だった。

この3年で、その手は会議室の机の下でこっそり彼女の指先を摘み、年次パーティーでは彼女の腰を抱いて所有を誓い、深夜残業のときは肩に上着をそっと掛けてくれた。

なのに今は、その温度がただ焼けるように不快だった。

思わず手を引こうとしたが、宋津年がさらに強く握る。

彼は身を屈めて耳元に寄せ、吐息が耳朶をかすめる。「考えすぎるな。晚意はちょっと具合が悪いだけだ」

「津年」背後から蘇晚意の弱々しい声が届く。「頭がすごくくらくらするの」

宋津年の身体がはっきりと強張った。

路遥はその目の奥に一瞬の逡巡を見たが、すぐ消えた。

彼は彼女の手を放し、振り向いて蘇晚意へ歩み寄る。「また痛むのか?医者を呼ぶか?」

蘇晚意は首を振り、ふにゃりと彼の身体に寄りかかる。「あなたがそばにいてくれればいい」

彼女は潤んだ瞳を上げて路遥を見る。「路部長、出ていってもらえますか。 いま、人に会うのがちょっと無理で」

路遥の爪が掌に深く食い込む。

三か月前のあの事故以来、記憶を失った蘇晚意はこんなにも儚げになり、彼女を宥められるのは宋津年だけだ。

社内では密かに囁かれていた。蘇秘書は宋社長を救うために負傷した、その恩で一生食っていけるだろう、と。

「書類はここに置く」路遥は契約書を手近なローテーブルに置き、静かな声で言った。「法務部が急いでいる」

宋津年は片手で蘇晚意を支え、わずかに眉をひそめる。「遥遥」

「先に失礼する」 踵を返す瞬間、視界の端に、蘇晚意の口元をかすめた一瞬の得意げな笑みが映った。

扉が閉まる刹那、泣き声まじりの蘇晚意の声が漏れた。「津年、邪魔してるよね……でも本当に怖いの……」

路遥は足を止めず、早足でエレベーターへ向かった。

廊下の同僚が何人か、彼女へ含みのある視線を投げた。

彼らの目には、路部長と宋社長はいまだ羨望のオフィス・カップルに映っている。

だが誰も知らない。蘇晚意から電話が入るたび、宋津年がすべてを投げ出して彼女の元へ駆けつけていることなど。

エレベーターの扉が閉まった瞬間、路遥はようやく深く息を吸うことを自分に許した。

ポケットの中で携帯が震える。母からのメッセージだ。【謝家のほうがまた聞いてきてる。考えはどう】

三か月ぶりに、路遥は迷わなかった。【縁組に同意する】

ほとんど同時に電話が鳴った。

「どうして急に吹っ切れたの」母の声には明らかな驚きが混じる。「この前はもう少し様子を見るって言ってたでしょう」

「別に。ただ、決めるべき時だと思っただけ」

「声が違うわね」母は敏く異変を察する。「宋津年のほうで何か――」

「お母さん」路遥は遮った。「帰りたい」

受話器の向こうが数秒間沈黙し、「わかった。謝家との顔合わせを来月に段取りする。 ほんとうに決めたのね」と言った。

「うん。退職の手続きが済んだら戻る」 路遥は電話を切り、人事部にメッセージを送った。【契約満了後は更新しません。退職手続きをお願いします】

人事部長李玉からの返信はすぐに来た。【路部長、こんなに急に? 宋社長に知らせますか。 幹部の退職は彼の署名確認が必要です】

路遥はそっと目を閉じた。【まだ彼には伝えないで。満了前に私が処理する】